令和4年7月、多摩区から分区して麻生区が成立して、40周年の記念式典が有りました。ここで麻生区の歴史を調べました。
区名選定委員会(28名)が居住者から新区名を募集しました。その結果、柿生区:4256通、百合区:436通、山手区:268通、麻生区:156通でした。麻生区は2%に過ぎませんでした。それなのに区名選定委員会はなぜ新区を「麻生区」と名付けたのでしょう。それは麻生(あさお)という名が歴史的由来に価値があり新区の名称にふさわしい、としたのがその理由でした。
足利尊氏の所領目録に「武蔵国麻生郷」と記載されているのが初見とされています。
明治元年にこの地は神奈川県になり、明治22年橘樹郡生田村(細山村、高石村、金程村)、都築郡柿生村(万福寺村、古澤村、黒川村、栗木村、五力田村、片平村、上麻生村、下麻生村、王禅寺村、早野村)・岡上村が成立。昭和13年橘樹郡生田村、昭和14年都築郡柿生村・岡上村を川崎市へ編入。
昭和47年川崎市の政令指定都市移行に伴い多摩区が発足しました。柿生と言う名称は小中学校と小田急線の駅名に残っています。岡上は飛び地ですが、柿生との繋がりが濃くそのまま川崎市へ移行しました。
江戸時代王禅寺の境内で「甘がき」が発見され名物となりました。また、細山村、黒川村から良質の炭が焼かれ(黒川炭)、多摩川を渡って江戸に出荷されていました。
未来は明るいです。横浜市営地下鉄ブルーラインは新百合丘駅~あざみの駅間の新線を計画しています。2030年ごろに完成予定です。